〒328-0024 栃木県栃木市樋ノ口町58-1
TEL.0282-22-0982/FAX.0282-22-8271
自動車
- 東北自動車道 佐野藤岡インターチェンジから約20分
- 東北自動車道 栃木インターチェンジから約15分
電車
- 両毛線思川駅から車で10分
- 栃木駅から車で10分
- 小山駅から車で15分
お客様の利益に貢献することを目指し、お客様から必要とされる存在になる。そして、私達が目指す「大切な人を大切に出来る場所を創る」ことをしていく。
親としての役割、子供としての役割が果たせるように、互いが成長し合い、支え合える存在になるための行動をしていきます。
自分たちのことを充実させることだけでなく、障がい者の一般就労も含め、この世の中に役に立てることをしていきます。
私たちは「この世の中に必要とされる会社となる」ために、ひとつのグランドラインを立ち上げました。
それは「アンパーク」という場所・コミュ二ティをつくることでした。
約7,000坪の敷地にオーガニックレストランや無化学肥料野菜販売所、デイサービスセンター、託児所、石窯パン工房、あんカフェ、居住施設などを建設して、高齢者・障害者・子供が共に集い、ひとつのコミュニティで関わり合うことにより、古き良き和の文化を守り伝え、共生し合う場所です。
知的障がい者が一般就労できる、納税できる、共同生活ができる場づくりを通してみんなが分け隔てなく、自分の役割を全うし、活躍できる社会をめざしていきます。
それが、この世の中に必要な会社だと信じているからです。
卯之助は8人兄弟の5番目でした。兄弟が多い、昔は口減らしと言ったそうですが、家にいると食べ物がたくさん必要になると言うことで、15~16歳のころには一人で働きに出されたのです。最初は東京の大八車で荷物を運ぶ仕事をしていたらしいです。
大正時代、甘い食べ物は、今と違い凄く貴重なもので、月に一度、お饅頭を食べるのが何よりもご馳走だったそうです。卯之助は「こんなに甘いものを食べて、幸せになれるのなら、自分もこの仕事で、沢山の人を幸せにしたい!」と思い、お菓子屋さんに修行に行こうとしました。しかし当時はお菓子屋さんブームだったため、なかなか修行先が見つからなかったみたいです。
餡子屋さんの発祥の地が静岡県の興津という場所にあります。そこは卯之助の実家から、今の車で30分ぐらい行った場所にありました。卯之助はそこに住み込みで餡子屋の修行をすることになりました。
そして大正から昭和に変わる時代、卯之助が26歳のとき、静岡県清水市から栃木県栃木市に深澤製餡所を創業しました。
何故、栃木の地で餡子屋を始めたのか、二代目に聞いても定かではなかったのですが、旧工場跡地で大正14年(1925年)に創業しました。
太平洋戦争の時には、鉄の回収があり、機械を全て持っていかれてしまい、数年間はアイスキャンデーやラムネ飲料を作っていたこともあったそうです。そんな激動の時代を経て、弊社はまもなく創業100年を迎えます。
深澤製餡所では、初代の名前 卯之助と言う名を代々伝承しています。
名前だけでなく伝承されているものがあります。卯之助が書いた和紙に、卯之助を名乗るものとしての約束ごとが3つあり、いかなる場合もこのことを守ると約束するために、そこに筆で署名します。そこには、どんなに新しい時代になっても、変えてはいけないことが書いてあります。その筒を開けるのは、代替わりをするときのみ。先代がそうしてくれたように、次の後継者に伝えていきます。
創業当時とは業務内容や流通が変わり、業界もかなり変わりましたが、代々の卯之助の物事の判断の一部は、今後も受け継がれていきます。
これからも初代卯之助の心を大切にしながら、時代の流れに乗って創業100年を迎えたいと思います。
商号 | 有限会社 深澤製餡所 |
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所在地 | 〒328-0024 栃木県栃木市樋ノ口町58-1 TEL.0282-22-0982 FAX.0282-22-8271 |
代表者 | 代表取締役 大橋悦夫 |
創業 | 大正14年 |
設立 | 昭和52年 |
資本金 | 1,000万円 |
決算期 | 12月 年1回 |
取引銀行 | 栃木銀行 栃木支店 足利銀行 栃木支店 |
業務内容 |
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〒328-0024 栃木県栃木市樋ノ口町58-1
TEL.0282-22-0982/FAX.0282-22-8271